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那智の滝

去年の6月は母の誕生日のお祝いもかねて
伊勢・熊野詣でに行ってましたね~

簡単にしかブログに書いてなかったので、少し補足もかねて
書いてみます。




祖父、父のルーツが和歌山県の那智勝浦だったこともあり、一度はいってみたいと
思っていた場所でした。

私の名前の由来も「那智の瀧」からつけたものだということもありますよ~(^^)




写真 (1)

写真で見ていた通り、すばらしい!!

一段の滝としては落差日本1位。日本三名瀑に数えられているだけあります

瀧が神様として祀られている。。。
飛瀧神社のご神体

龍にもみえたり。。!?


写真 (4)

ここまで来るには500段近い階段をひたすら登りました


那智の瀧を見降ろすこの場所に、熊野那智大社があります


~熊野那智大社のご由緒~
熊野那智大社社伝に「神武天皇が熊野灘から那智の海岸“にしきうら”に御上陸されたとき、那智の山に光が輝くのをみて、この大瀧をさぐり当てられ、神としておまつりになり、その御守護のもとは、八咫烏の導きによって無事大和へお入りになった」と記録されております。

命の根源である水が豊富にあふれ落ちる「那智大瀧」を、古代から「神」としてあがめ、そこに国づくりの神である「大巳貴命」(大国主命)をまつり、また、親神さまである「夫須美神」(伊弉冉尊)をおまつりしていた。

その社殿を、お瀧からほど近く、しかも見晴しのよい現在の社地にお移ししたのは仁徳天皇五年(三一七年)と伝えられています。
この時、大瀧を「別宮飛瀧大神」とし、新しい社殿には「夫須美大神」を中心に、国づくりに御縁の深い十二柱の神々をおまつりしました。
やがて仏教が伝来し、役小角を始租とする修験道がおこり、その後、「蟻の熊野詣」といわれる程に全国から沢山の人々が熊野を目指すことになるのですが、中でも、皇室の尊崇厚く、後鳥羽上皇は二十九回もご参詣の旅を重ねられ、また花山法皇は千日(三年間)の瀧籠りをなされたと記録されております。

なお「熊野」という地名は「隈の処」という語源から発しているといわれていますが、だとすれば、ここは奥深い処、神秘の漂う処ということになります。
また「クマ」は「カミ」と同じ語で、「神の野」に通じる地名ということにもなります。

その「神の里」に詣で、漂う霊気にひたり、神々の恵みを得ようとして、古代から多くの人々が熊野へ、そして那智山へ参詣されています。
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なぜこんなにも、熊野詣でというほどに人々が訪れる場所なのか

そこに足を運び、身体をゆだねてみると、
深い山々の、なかなか見ることのできない大きな杉の木立
幾万人の人々が歴史の中をあるいてきた石畳
森の中の透き通る空気

懐かしいのか何とも言えない、言葉ではあらわせないような
気持ち、「氣」が体の中を通り抜けたような気がします。




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登り龍

縁起のいい龍を制作しております。

こちらは「珠をつかみ天空に駆け上がる龍」です


写真 2 (8)


久しぶりに凝った作品でした!

出来上がりが楽しみ


これを作った日に空を写したら、

なんとなく面白い写真になってました(^^)

写真 1

龍の頭。。

写真 2

龍の胴体の鱗のような雲が空一面でしたよ~☆





アゲハ蝶が産卵にやってきました!

やっぱりみかんが好きなのね~



写真 1 (9)




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プロフィール

ginnami

Author:ginnami
宮崎県清武町にある手づくり陶器・ランプなどを制作している”工房銀の波”のブログ。築70~80年の小さい古民家を修理し店舗としている。ギャラリーとして企画展や雑貨・クラフト商品も販売。各種講座も開催。

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